48歳までの道のりのお話(仕事編)

自由と葛藤

これまでの過程について

 こんにちは!とらです。書きたいことは沢山あるのですが、昔ほど新鮮味が無くなっている感も。。実は、昔、アメブロの方でも記事を書いていました。その頃はネタに困ることは無かったのですが・・。

とら
とら

 先輩と飲み歩いていた時代だったし、結婚をする前だったので、時間を自由に使えていたこともあったかと思います。富士山にも登ったなぁ。。

 今回は自分のアタマを整理する意味で、今までの忘備録を記していこうと思います。ごゆるりと読んでいただければと思います。

20代から30代

 学生のころから、漠然と音で食べていくべく。。という壮大な目標を掲げて生きていたように思いますが、要は就職氷河期の大看板(就職できなくても当たり前、的な)に胡坐をかいていた、というのが本当のところでした。

就職~フリーター~アメリカ渡航時代

 大学卒業後、就職氷河期真っ只中でしたが、就職活動は完全に怠けていました。ただ、漠然とアメリカへ行きたいなぁと考えていまして、その資金稼ぎのため、思い立って就職をすることに。

 金融関係・・・と言えば聞こえは良いですが、先物取引の営業で博多に飛ばされました。当時はまだあった分厚い電話帳から片っ端から電話をし、毎日のように見知らぬ街のビルに飛び込み営業をやってました。

とら
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 今もですが、当時から物事を深く考えるタイプでは無いため、良い就職先が無いなら、とりあえず働きながら海外留学用の資金を貯めよう!ってそれだけでした。

 ただ、この時の体験のおかげで、多少のことでは動じないようになった気がします。

 その後、地元に戻り、今は無い、シネコンの立ち上げスタッフとして映画館でバイトを始め、コンビニと併せて昼夜働いておりました。そしてこの頃、911の事件がアメリカで起きました。

とら
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 この事件が、渡航に影響するかな~と思っていましたが、その次の年に無事、LAへ渡航を果たせました。でも、渡航してから、色々入出国について、厳しくなってきましたね。

アメリカ在住時

 英検2級のみを心の支えに渡航。ESLという語学学校を経て、ハリウッドにある、Musicians Institute という学校のRIT科(レコーディング科)に入学しました。

 日々、語学の壁と戦っていましたが、ある意味では1番勉強していた時かもしれないです。 日本でいう、音楽専門学校のレコーディング科に入学しました。

 クラスは10人くらいで、大学のように自分で履修教科を選べたので、迷わずLive Soundの授業を採り、ライブハウスでのバイト君のような作業もやらせてもらいました。

とら
とら

ハリウッドって場所柄か、レッチリや、スタンリークラークなど、有名アーティストの演奏を学校で生で聴けたり、楽しい日々でした。

 911のこともあって急いで渡航したため、充分な資金はなく、着いてすぐ現地でバイトを始めました。弁当配達や、すし屋での皿洗い、ラジオ局でのインターン等、色々やりましたが、専門学校を卒業する資金までは貯まりませんでした。

 中途退学後、学校内外でレコーディングの仕事をやらせてもらったり、色々やってましたが、気が付くとバイトと遊びがメインの生活に。。

とら
とら

 生活に慣れてしまってましたね。ロンドンの友人に会いに行ったり、クルマでアメリカを周ったり、働きながら旅もしてました。

 ダウンタウンにある、リトル東京のビデオ屋でのバイト生活が続きました。バイトしながら、仕事があればレコーディングやったり、自らもライブをやったり、サーフィンしたり。普通に生活が出来、友達も増えて、このままだとLAを離れられなくなる。。と漠然とした不安から、帰国することに。

30代~現在まで

 帰国後、地元にダラダラ居るわけにはいかないので、東京都多摩市にて、レコーディング兼、リハーサルスタジオに雇っていただき、丁度、ライブハウスの立ち上げも重なって、PAとレコーディングの日々を送ります。

とら
とら

 これも、楽しかったんですが、朝からのライヴの仕事が終わった後、次の日の朝までリハスタの受付!とか、身体的に厳しかった。。もちろん、この日々も、今の大きな糧となっています。

 ライブハウスのオーナーと喧嘩別れ!し(現在は復縁)、今居る会社に拾ってもらいました。関東圏で公共ホールの管理をしている会社で、今もイチ音響スタッフとして働いております。

これから

 毎年、この先5年タームでの計画表を作成、同時にその年1年間の計画表まで落とし込んでいます。そこに記してあるゴールは、漠然と音で食べていく、といったゴールからは少々ずれてきています。

とら
とら

得意なこと、そうではないことの差が、むかし以上に広がってきているように思います。

学生時代から「明日居なくなるとしたら、今日何をするか」を意識して動いてきましたが、今、改めてその重要さを感じています。

 コロナ禍を終え、お陰でチャレンジしたいこともクリアに見えてきています。可愛いチビたちとの生活や、海と山の生活。毎日が尊い経験です。

 ただ、仕事としては音響だけを追ってきて、50歳を前に区切りを打ちたいという思いも生まれてきました。

 自由に生きたい。好きな仲間と仕事をしたい。好きなことを突き詰めたい。

 1つ1つ、ゴールに向かって如何動かしていくか、ワクワクしながら目下勉強中です。一緒に体験して頂ければ幸いです。

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