こんにちは、とらです。
先日、ある劇場の3点吊りマイクでトラブル対応をしてきました。
症状はこうです。 「MS方式のマイクなのに、デコードしてもステレオにならない」。
音は出ています。レベルも来ています。 でも、ステレオイメージがまったく広がらない。
先に結論を書きます。 原因は、6ピンコネクタの接触不良と、新設されたマルチケーブルの一部未結線でした。 施工品質の問題と、その後の点検がそれを見逃していたという体制の問題。二重の欠陥です。
ただ、この記事で伝えたいのは犯人の正体ではありません。
「信号が来ている」ことと「回路が正しい」ことは、別物である。
この一点です。 切り分けの手順を時系列で残しておくので、同じ症状に出会った方の参考になれば嬉しいです。
MS方式のおさらい——疑うべき場所は最初から決まっている

MS方式は、正面を向いたMid(M)カプセルと、横向き双指向性のSide(S)カプセルの2本で収音するステレオ方式です。
デコードの式はシンプルです。
L = M + S R = M − S
Mid(M)正面・真ん中の音Side(S)双指向・左右の差M + SM − SLRSラインが切れると左右の差が消え、ステレオイメージが崩壊する
Mが「真ん中の音」、Sが「左右の差」を担っています。
ここで大事なのは、Sチャンネルの性質です。 Sに断線・極性反転・接触不良のいずれかがあると、左右の差情報が失われて、ステレオイメージは崩壊します。
つまり、「MSがステレオにならない」という症状が出た時点で、疑うべき場所はほぼ決まっています。 Sラインです。
原理を知っていれば、トラブルの入口で捜査範囲を半分に絞れる。 これがこの故障の面白いところでもあります。
現場の信号経路
今回の構成はこうでした。
3点吊りMSマイク → 6ピン→3ピン変換 → パッチ盤 → YAMAHA Rivage(Omni入力)
MSマトリクスのデコードは、コンソール側で自動処理される構成です。
3点吊りMSマイク6ピン→3ピン変換マルチ経由パッチ盤YAMAHA RivageOmni入力(MSデコード)⚡6ピンコネクタの間欠接触⚡マルチケーブルの一部が未結線
切り分けの実際——消去法から間欠接触の特定まで
まず「疑わなくていい場所」を決める
トラブルシュートの鉄則は、容疑者を増やすことではなく、減らすことだと思っています。
最初にやったのは、両端を検証すること。 マイクヘッドと、コンソールのマトリクス処理を先に容疑から外しました。
残るのは、その間。 ケーブルランです。
導通チェックの結果が「一貫しない」
ケーブルランに絞り込んだところで、導通チェックをかけました。
ここで妙なことが起きます。 測るたびに、結果が変わるのです。
きれいな断線なら、常に「切れている」。 短絡なら、常に「つながってはいけない場所がつながっている」。
でも、今回はどちらでもない。 結果が一貫しない。
これが示唆するのは「間欠接触」です。 ケーブルの角度や張力次第で、つながったり切れたりする状態。
経験上、この症状の犯人はだいたいコネクタ周りにいます。 今回も、6ピンコネクタのハンダ不良か端子の緩み。そこに当たりをつけました。
追加の発見——そもそも結線されていなかった
さらに調べていくと、もうひとつ出てきました。 新設されたマルチケーブルの一部が、そもそも未結線だったのです(苦笑)。
間欠接触は「劣化」でも起こります。 でも、未結線は「施工」でしか起こりません。
施工品質の問題と、その後の保守点検がこれを見逃していたという問題。 二重の欠陥が、この日まで眠っていたことになります。
メーターは嘘をつかない——エアマイクとの比較で異常を掴む
今回の切り分けで、もうひとつ書き残しておきたいことがあります。 メーターの読み方です。
大体の劇場には、MSマイクとは別回線でエアマイクが取ってあります。こちらはMSではない、通常の収音系統です。
そこで、ステージのL側で手を叩いてみる。
エアマイクは、L側のメーターが大きく振れます。 当然です。音源は左にあるのだから。
ところが、MSマイクの入力は、LRが同じように振れる。
音源は明らかに左に寄っているのに、デコード後のLRに差が出ない。
L = M + S、R = M − S。 Sラインが死んでSがゼロなら、LもRもただのMです。 同じに振れて当たり前——つまり、モノラルとして振る舞っている証拠です。
ヘッドホンで「ステレオ感があるかどうか」を聴いて判断する方法もあります。 でも、耳は疲れます。思い込みにも引っ張られます。 「ステレオに聴こえる気がする」は、証拠になりません。
音源を片側に置いて、正常な別回線と振れ方を見比べる。 エアマイクという比較対象があったから、この異常は誰の目にも明らかでした。
耳は騙される。メーターは嘘をつかない。
なぜ通常のマイクチェックでは見つからないのか
当日は若手を同行させて、この現場を生きた教材にしました。
作業が一段落したところで、ひとつ問いを投げました。
「通常のマイクチェックだけで、この故障を発見できたと思う?」
答えは、できない、です。
なぜか。 音は「出る」からです。
Sラインが死んでいても、Mチャンネルは生きています。 音は出るし、レベルメーターも振れる。 「音出しOK」のチェックリストに、堂々とチェックが入ってしまう。
つまり、通常のマイクチェックは「信号が来ているか」の確認であって、「回路が正しいか」の確認ではないのです。
回路の正しさを判断するには、その回路が何をしているかを知っている必要があります。 MSデコードの式を知っていれば、「ステレオにならない=Sラインが怪しい」と一歩目から踏み出せる。 知らなければ、「音は出てるけど、なんか変」で止まってしまう。
これは経験年数の問題ではなく、原理を知っているかどうかの問題だと思っています。
まとめ——「信号あり」と「回路正常」は別物
今回の記録をまとめます。
- MS方式は L=M+S / R=M−S。ステレオにならないなら、まずSラインを疑う
- 切り分けは消去法。両端(マイク・コンソール)を先に容疑から外し、ケーブルランに絞る
- 導通チェックの結果が一貫しない → 間欠接触。コネクタのハンダ・端子を疑う
- 判断はヘッドホンの聴感ではなく、正常な別回線(エアマイク)とのメーター比較を客観証拠として読む
- 音が出ることと、回路が正しいことは、別物
最後に、若手に投げた問いを、そのまま読者のあなたにも共有させていただきます。
あなたの現場のマイクチェックは、「音が出るか」を見ていますか。 それとも、「回路が正しいか」を見ていますか。

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