こんにちは、とらです。
しばらくブログが止まっていました。
再開の一本目が音楽の話になるとは思っていなかったのですが、最近聴いている音楽で思うところがあったので書きます。
五輪真弓の話です。
父が聴いていた人を、50代になって初めて聴いた
家で流れていた。
自分の記憶にある五輪真弓は、正直それだけです。
父が聴いていた人。
「恋人よ」の人。
その二行で終わっていました。
今、昭和歌謡のライブでPAをやっています。音響オペレーターとして30年、劇場もホールも回ってきましたが、ここ最近は昭和の曲を扱う現場が続いている。予習のつもりでベスト盤を再生しました。仕事の資料として、頭から流しただけです。
一曲目で手が止まりました。
これ、70年代のロックじゃないか、と。
まず声です。掠れている。喉が潰れかけたまま出てくる。真っ先に浮かんだのがジャニス・ジョプリンでした。当時の日本の女性歌手は、どちらかというと「品よく歌う」方向に整えられていった印象があります。ところがこの人は、掠れを直していない。武器のまま置いてある。
そして音です。
バンドの鳴りが、日本の歌謡曲の質感じゃなかった。
調べて納得しました。デビュー作『少女』は1971年の夏、ロサンゼルスのクリスタル・サウンド・スタジオで録られています。キャロル・キングが二曲でピアノを弾いていて、ベースはチャールズ・ラーキー。当時「和製キャロル・キング」と呼ばれたのは、キャッチコピーではなく、そのまんまの事実だったわけです。
つまり歌謡曲の文脈で始まった人ではなかった。
70年代アメリカ西海岸のシンガーソングライターの音が、そのまま入っている。
自分が好きな1960〜70年代のアメリカ映画、ニューシネマやロードムービーの、あの空気。
同じ時間の中で鳴っていた音でした。
「恋人よ」の人じゃなかった。
そう思った瞬間に、自分の中の昭和の地図が一枚めくれました。
自分が好きだったものと、水源が同じだった
もうひとつ、遅れて効いてきたことがあります。
自分が好きなのは、はっぴいえんどや70年代のフォーク/ロックです。フォークジャンボリー系の現場を手伝ったこともあります。日本語であの音をやろうとした人たちが、当時どれだけ無茶をしていたか。それは仕事を通してなんとなく知っていました。
日本語は、英語ほどビートに乗らない。
乗らないものを無理やり乗せる。あるいは、乗せずに済む方法を発明する。
あの時代の日本のロックは、ほとんどが翻訳作業でした。
五輪真弓のLA録音も、根は同じところにあったはずです。
向こうの音を、日本語のまま持って帰ってくる。
自分がずっと好きだったものと、この人は水源が同じだった。
それに50代になるまで気づいていなかった。
昔バンドをやっていた頃からの30年の話は別の記事に書きましたが、あの頃の自分は「洋楽か邦楽か」みたいな雑な線で世界を分けていたと思います。線の引き方が浅かった。
そして、なぜ気づかなかったのかもはっきりしています。
「恋人よ」が強すぎたからです。
1980年のあの曲は、アルバムも本人唯一のオリコン1位になっています。後の世代にとっての五輪真弓像は、あそこで完全に上書きされた。自分もその上書きされた側の人間でした。
でも、リアルタイムであの人を聴いていた人たちの中では、たぶん違う。
「あの、掠れた声で歌う人」として認識されていたはずです。
太い音の復権は、10年おきに来る
音の話をもう少しだけ。
70年代のトラックは、バンドの音が生々しくて太い。そしてボーカルがそれに負けていない。同じ部屋で同時に鳴っている感じが、そのまま入っています。
これを聴いていて、90年代のことを思い出しました。
Mr.Childrenの『深海』です。
1996年。小林武史プロデュース。大半をアメリカのスタジオで、アナログを狙ってヴィンテージ機材で録っている。あの頃のJ-POPは、打ち込みとデジタルリバーブ(残響を電子的に作る処理)でどんどん整理されて、きれいに整っていく流れの中にありました。その逆を、いちばん売れているバンドが、売れ線を捨ててやった。
ドラムの部屋鳴りが残っていて、ボーカルが近い。
今聴いても、あのアルバムだけ空気の湿度が違います。
初期の椎名林檎にも、同じ匂いがありました。
ただ、あちらはもう一段確信犯に聞こえる。70年代の音を「引用」としてやっている自覚がある。カッコに入っている感じがします。
今回の驚きは、そこでした。
林檎が意図的に再現していたものの、オリジナルの水源に手が触れた感覚。
「太い音」の復権は、だいたい10年おきに来ます。
そしてそのたびに、太いの定義が変わる。70年代の太いと、90年代の太いと、今の太いは別物です。同じ言葉で呼ばれているだけで、中身は入れ替わっている。
マイクは、鳴っていないものを拾えない

ここからが、PAとしての結論です。
結局、ジャズと同じでした。
鳴っていないものは、拾えない。
マイクは、鳴っている音しか拾いません。
当たり前です。でも、この当たり前を認めるのが一番難しい。
EQ(音の周波数バランスを調整する処理)で低域を持ち上げても、コンプ(音量差を圧縮して密度を出す処理)で押し込んでも、演奏が薄いことは隠せない。むしろ薄さが強調されます。細い音を太くしようとすると、細さの輪郭がくっきり出てくる。何度もやって、何度も失敗しました。
当時の録音が太い理由も、たぶん同じです。
「技術が貧しかったから、演奏で解決するしかなかった」
そう説明されがちですが、順番が逆だと思っています。
演奏で解決できる人しか、スタジオに入れなかった。
それだけの話です。
現場でも同じことが起きます。卓でできることは、思っているより少ない。
だから自分は定位(各楽器を左右のどこに配置するか)を大事にしています。
音量やEQで嘘をついても効かない。
でも、配置は嘘じゃない。
演者は実際にステージのその位置にいて、その関係の中で鳴っている。それを客席に写す仕事だと思っています。
上手いバンドは、余計なことを言ってきません。
自分たちの音がすでに完成していることを知っているからです。こちらは邪魔をしないだけでいい。
もちろん、そうじゃないバンドが来ることもあります。
でも、それもバンドなんです。卓で救おうとすると、そのバンドが本来持っている形が消えるだけで、良くはならない。
それでも、いちばん遠くまで届いたのは80年代だった
ベスト盤は年代順に並んでいます。
だから、その人の20年が1時間で通過していく。
聴き進めると、80年代に入ったところで音がはっきり変わります。
リズムマシンが入り、リバーブが深くなり、コーラスが増える。当時の最新機材を、全部飲み込んでいる。
ここで聴く側の姿勢が全部出るな、と思いました。
これを「変わってしまった」と読むか、「成長した」と読むか。
70年代のロックな五輪真弓が本物で、80年代は商業的になった。
そう切るのは簡単です。でも、本人の中ではたぶん地続きでしょう。同じ人が、同じ声で、その時代に鳴っていた音でやっているだけです。
現に、声の掠れは消えていません。
そして思うのは、「恋人よ」があれだけ届いた理由です。
70年代に喉を潰しながら歌ってきた人が、あの曲を歌った。だから届いた。
順番が逆だったら、あそこまで遠くには行かなかったと思います。
人は成長する。
そう素直に言えるくらいには、自分も年を取りました。
まとめ|昭和は深い
昭和は深い。
生きてきたのに、何も知らない。
テレビとラジオが強すぎた時代です。
だからみんな同じ景色を見ていたようでいて、実際に届いていたのはヒットチャートの上澄みだけだった。
その下に、五輪真弓のような人が普通に何人もいる。
たまたま自分は今、昭和歌謡の現場にいるからその一人に当たっただけで、まだ何十人も残っているはずです。
懐かしさで聴いていないぶん、音として素直に評価できました。
知らないことは、たぶん強みです。
もし自分の親が聴いていた音楽を「そういうもの」として処理したまま来ているなら、一枚だけ通して聴いてみると、けっこう景色が変わるかもしれません。

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